番外編2 「ザイのやさぐれ恋模様」6
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『 ああいうの、許せない質なんだよねえ俺 』
 二指で挟んだ例の手紙を、セレスタンは鼻先に突きつけた。
『 あの娘はただ、見せに来ただけだと思うぜ? 買ってもらった眼鏡を、お前にさ 』
 だが、わかったふうの取り成しが、かえって神経を逆なでした。
 その手紙を一読後、セレスタンを押しのけ、部屋を出た。
 あのメガネにはうんざりしていた。ガツンと言ってやるつもりだった。頭にお花が咲いているような能天気な手紙を突っ返し、二度とうろついたりせぬように。
 ──そのはずだった。
 ザイは廊下に歩み出て、月明かりの扉を一瞥する。
「勘定に入れる先が、また一つ増えちまった」
 溜息でごちつつ、歩き出す。「たく。なあにが"オトモダチ"だよ。よく言うぜ」
 これで、気を配る先が一つ増えた。特務の班員、首長に部隊。ちょっと目を放した隙にどこへ飛んでいくか分からないあの客、そして、
 ラトキエ領邸、眼鏡のメイド、オフィーリア。
 あの思いつめたような瞳が気に障った。そばに来られるだけで不愉快だった。なぜか無性に苛ついた。つき放してもつき放しても、一途に後を追ってくる。その卑屈なほどの懸命さが。
 だが、立ち込めた霧が晴れるように、そのからくりが分かってしまった。胸の底を引っかきまわす、ひどい苛立ちの正体が。双子の小うるさい片割れを引っ張ってきたあの時に。
 そっくりだった。
 不安そうにうかがう顔が。駆けずりまわる必死な姿が。その不器用な無様さが。
 まるで自分を見るようだった。
 ようやく、そのことに気がついた。彼女を通して見ているものは、所在なさげな無様な姿で鏡の向こうに立っていたのは、他ならぬ自分であったことに。
 だが、彼女の方が、よほど強い。
 自分が最も恐れる、、、、、者を、彼女はひたむきにさし出して、泣きそうな顔で微笑んでみせた。怯えを含んだ必死な瞳で。
 想い人とくっつけるために恋敵を連れてくるなど、誰にでもできることではなかった。そうした方が誰にとっても良いことが、たとえ理屈ではわかっていても。
 薄暗いホールに向かい、無人の階段をぶらぶら降りた。
「にしても、今日は危うく死ぬところだったぜ」
 あわてふためいて手綱を絞る御者の顔を思い出し、ザイは苦々しく舌打ちする。「下手くそが。ひき逃げなんかしてんじゃねえぞ。マジで引っかけてたら、どうすんだ」
 疾駆する車輪の餌食になるのを、あの時辛くも逃れていた。
「この貸しは、きっちり返してもらうからな」
 そう、抜け目のないこのザイが、今回に限って深追いせずに、見逃したのには理由がある。
 馬車の所有者はラディックス商会。つまり、相手が身内であったからに他ならない。
 息のかかった商都の店舗は、仕事を引退いたバードの縄張り。異民街で商う小さな店から商都第二の大商会まで、裏では密かにつながっている。仕切っているのは統領代理デジデリオだが、実質的にはラディックス商会を率いるハジだ。
 一階まで数段を残して足を止め、ザイはしばらく階下の様子をうかがった。
 灯りは既に落ちていた。つややかな手すりの中央階段を降りきった先は、従業員宿舎の玄関ホールだ。天井まで吹き抜けの、解放的な造りになっている。
 古めかしいシャンデリアと、どっしりとした煉瓦の暖炉。壁ぎわには長椅子と卓、大輪の花が活けられた花瓶。青銅のオブジェと記念碑まである。薄闇に沈んだそれらを見渡し、ザイは辟易として肩をすくめた。
「豪勢なもんだな、使用人の寮だってのに」
 ダンスホールにでもなりそうな広さだ。館内に収容した大人数が一度に移動し混雑する、朝夕に備えてのことだろう。床は塵ひとつなく磨きあげられ、連絡事項らしき無数の紙が、壁の掲示板に貼られている。
 隅に据えられた大時計が、九時を過ぎたことを告げていた。皆、自室に引きあげたようで、広く薄暗い玄関ホールは、がらんと静まりかえっている。この宿舎の部屋割りは、このホールを境とし、左の階段を登れば男性、右なら女性用の部屋と分かれている。つまり、ホールは共用で、門衛などに出くわす可能性もあったわけだが、ここが無人というのなら、事情を知らない厄介な輩に一から説明する煩わしさは、ひとまず回避できたといえる。
 最後の一段を降りきって、ザイはふと顔をあげた。薄闇の先に、目を凝らす。
 人が、いた。
 外からの月光を浴びた、この建物の出口の壁だ。陰に沈んで顔立ちはよくわからないが、壁に寄りかかってうつむいている。小柄な体格はおそらく女──。
 ゆるく巻いた肩先の髪が、夜の逆光で縁どられていた。顔に降りかかるその髪を、人影は指先で耳にかける。
 踏み出す足が、知らず速まる。
 鼓動が不規則にうねっている。
 間違いない。
 彼女には同じ顔の片割れがいるが、この判断には自信がある。
「──ラナさん?」
 声をかけ、ザイは戸惑って見まわした。「どうしました、そんな所で」
 私服のラナが顔をあげ、ゆっくり、こちらを振り向いた。
「待っていました」
 予期せぬ言葉に面食らった。
「お送りします」
「……俺を、スか?」
 呆気にとられて立ち尽くす。ラナは真面目な顔を崩さない。
 ザイはやむなく笑みをつくった。「参りましたね。──ああ、いえ、結構ですよ。お気遣いは嬉しいですが、外は暗いし、迷子になるような年でもありませんし」
「一人では、外に出られません」
 硬い面持ちで、ラナは言う。
「門衛が、いますから」
「──ああ、そういうことで」
 ようやくザイは合点した。確かに勝手に出ようとすれば、不審者として見咎められること請け合いだ。
「ですから、門の外まで、ご一緒しようと」
 軽く睨むようにして、ラナはじっと見すえている。絶対に引かないと言いたげな、ひどく頑なな面持ちで。
「ご親切に。助かりますよ」
 ザイは苦笑いして踏み出した。潜入時に使用した「調達屋があけた裏木戸」から帰るつもりだった──などとは、まさか言えない。そもそも相手が彼女なら、断る理由など、あろうはずもない。
 連れの到着を待たずして、ラナは外階段を降りてゆく。軽く払われた肩先の髪が、夜の闇に、ふわりと舞う。
 はっとザイは顔をあげ、困惑して見返した。
「……あんたでしたか」
 ラナは石畳で足を止め、怪訝そうに振り向いている。
「あの、何か?」
「──いえ。行きますか」
 ザイは軽く首を振り、自分を待つ彼女に続いた。
 領邸は、夜に沈んでいた。
 生い茂った樹木は黒く、窓には灯かりがともっている。宿舎から伸びた石畳の道が、月光にほの白く浮かんでいた。道の先は分岐して、正面の道が領邸へ、左が正門、右が裏手の北門へと続いている。
 月に照らされた裏庭を、肩を並べて歩きつつ、ザイはおもむろに口を開いた。「それで、なんのご用でしょ」
「──え?」
「ラナさんでしょ? 俺のあと追っかけてきたのは」
 そう、まったく滑稽だ。あれほど過敏に警戒したのに、ふたを開ければ彼女とは。
 外階段で鼻先をかすめた、かすかに甘い花の芳香。あの昼の街角で、駆け去ったリナがつけていた──いや、リナは香水などつけていない。そう、つまりはそういう、、、、ことなのだ。
 ラナが急に落ち着きをなくし、しどもど視線を泳がせた。「──な、なぜ、そんなことを」
「どうして隠れたりするんスか。俺とラナさんの仲じゃないスか」
 むっ、とラナが顔をあげた。
「一体どんな仲ですか」
「おや。つれないスねえ」
「──あ、あなたはどうして、いつも、そういう不真面目なことをっ!」
「で、ご用件はなんなんでしょ。赤裸々な恋のご相談とか?」
「し、しりませんっ!」
 ぷい、とラナが顔を赤らめて横を向く。ザイは苦笑いして先を続けた。「真面目な話、声をかけてくれればいいのに。何かあるんでしょ、俺に話が。昼にここまで送った時にも、何か言いたそうにしてましたもんねえ?」
 きゅっと唇を引き結び、ラナはためらうように押し黙る。
 次の外灯にたどり着くまで、しばらくそのまま沈黙を守り、観念したように口をひらいた。「……あなたが、勘違いしているんじゃないかと思って」
「勘違い。てえと?」
 ラナは激しくかぶりを振った。「もう、いいんです」
「いいって、どうして」
「──だって!」
 ラナが軽く睨めつけた。
「だって、あなたは──」
 かすかに長く息を吐き、ラナは眉をひそめて目をそらした。
 それきり、ふっつり口をつぐみ、また、拒むようにうつむいてしまう。白い横顔はかたくなだ。
 やんわり促すも効果はなく、ザイもやむなく口を閉じた。
 月下の道を、彼女とふたり、無言で歩く。
 濃紺に浮かぶ夏の月が、青みがかって冴えていた。夜更けの広大な邸内は、どこも、しん、と静まっている。領邸の窓に灯りはあるが、あの若い当主は不在のはずだ。
 やがて、分岐にさしかかり、敷地内を縦断する幅の広い舗道が現れた。左に折れれば正門まで続く道だが、その広い車道には、人っ子一人見当たらない。道なりにある外灯だけが、ぽつんぽつんと灯っている。
 彼女はやはり、腹を立てているようだった。さりとて遊歩道で別れたきりで、心当たりとて何もない。あの時も、何か言いたそうにしていたが、不機嫌な様子ではなかったはずだ。
 この手の平を返したような態度から、自分に落ち度があるのは明白だった。だが、つんけん冷たくあしらったかと思えば、支障なく門の外に出られるよう、配慮する気遣いを見せもする。一体なにがどうなっているやら、さっぱり訳がわからない。この不可解さに比べれば、今まで、どれほど分かりやすかったことか。なんでも口に出すあの客は。
 外壁から覗く高い樹木が、黒い梢をそよがせた。鬱蒼としたその様は、どこか魔物を思わせる。濃紺の空には星がまたたき、遠くで人の声がする。門衛が申し送りでもしているのか──。
 歩道の外灯の下までくると、ザイはおもむろに足を止めた。
「ラナさん。そろそろ、この辺で」
 いつの間にか北門を通過し、等間隔で外灯がともる遊歩道まで歩いてきていた。彼女の態度が腑に落ちないし、なにより離れるのは名残惜しいが、夜分に連れまわす訳にはいかない。
 ふと、ラナが顔をあげた。たった今、気がついた、というように。
「ああ、いえ。お心遣いはありがたいんですが、夜道は何かと物騒ですし。ここらで戻った方がいい」
 まだ、裏門の灯りが見える距離だ。何げなくめぐらせた視線を戻し、ふと、ザイは口をつぐんだ。
 じっ、とラナが見あげていた。深刻そうな面持ちで。だが、意味合いをやはり図りかねる。
 街へと続く曲がり角へと、ザイは気まずく足を向ける。「じゃ、俺はこれで。おやすみなさい」
 返しかけた肩越しに、はっ、と彼女を見返した。
「……どうか、しましたか」
 背をかがめ、呆気にとられて彼女を覗く。
 もの寂しい外灯の下、じっと見上げたラナの頬を、涙がぽろぽろ伝っていた。ひどく傷ついた面持ちで。
 ザイは戸惑い、うろたえた。「──何か、やっちまいましたかね」
「……わたしはリナに似ていますか?」
 とっさにザイは返事に詰まった。
「そんなに似ていますか、リナとわたしは」
 声を震わせ、なじるように問う。怒気が含まれた責めるような口調だ。ザイは訳がわからず困惑した。「……いや、だって、そりゃあ……なにせ双子って奴スからねえ」
「そういうのは、辛いです」
 ラナは悄然とうつむいた。
「あなたに、そんなふうに思われるのは」
 胸をよぎった甘い疼き。
 だが、ザイはそれを誤魔化して、あえて彼女に笑ってみせた。「──またまた。いいスよ、気なんか遣ってくれなくて。そういうのは俺じゃなく、副長の方に言わなくちゃ」
「なぜ、声をかけたと思うの?」
 震える声で、ラナは言う。
「エレーンがいなくなった時、話したこともないザイさんに。どれだけ勇気が要ったと思うの?」
 もどかしげに凝視して、細い指で拳を固めた。
「ずっと、あなたを見ていました。わたし、ひどいことをしてしまって、あなたが怒っているんじゃないかと思って。だから、ずっと気になって」
 賓客を宿に止め置いたあの時、警邏に通報したことを言っているらしい。
「あなたはちょっと怖そうで、でも、話してみると、そうでもなくて、だから、わたし安心して──なのに、わたしにあんなことを言っておいて、あなたはリナと何をしていたの、、、、、、、、、、?」
 ぎくり、とザイは絶句した。とん、と耳元に滑りこむ、しなやかなリナの軽い気配。
「あ、いや、あれは──」
「異民街に行ったのは、副長さんに会いたかったからじゃない。行けば、会えるかも知れないと思ったから。いるかも知れないと思ったから! わたしはあなたに会いたかったの! 少しでもそばにいたかったの!」
 もどかしげに顔を振りあげ、うるんだ瞳で真摯に見つめた。
「あなたのことが、好きなんです」
 
 

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